ビルメンテナンス業界の実情

清掃や、電気・空調・給排水などの設備管理、建物設備の保全業務、警備業務などを総称して「ビルメンテナンス」と呼ぶ。日本ビルメンテナンス協会調査によると、業界規模は2010年度で約3.5兆円。ピークの2008年と比較して約2%縮小した。

 その背景には、折からの不況の影響もあり、ビルのオーナーがビルメンテナンス会社にコストダウンを求めることが増えている影響がある。不動産への入居率の低迷、テナントの賃料値下げなどによって、オーナー企業のビジネスもまた、シュリンクを続けているのだ。

 その結果、ビルメンテナンス業界では価格競争が激しくなり、入札制度が拡大。業界として曲がり角に差しかかっている。

採用条件は「持ち家」「独身」?
低賃金で生活できないから皆辞めていく

「私の知る限りだけど、ビルメンテナンスの中途採用試験で、面接官は受験者が持ち家であるか、独身であるかなどを確認することが多い。毎月家賃がかかる都内のマンションなどに住み、家族を養うのは、こんな給料では難しいからね……」

 ビルメンテナンス・ワーカー(以後、ビルメンと記述)として十数年勤務してきた佐藤義則さん(仮名・58歳)が、淡々と答える。



ビルメンテナンス・ワーカーの佐藤義則さん(仮名)
「会社としては、家族を養う男性を雇うことにためらいがあるのだと思う。『雇い入れても、低賃金で生活ができないからすぐ辞めてしまうんじゃないか』と面接官は心配しているのでしょう。私が40代前半でこの職に就いたのは、他にできる仕事がなかったから……(苦笑)」

 佐藤さんは数ヵ月前に、派遣社員として勤めていたビルメンテナンスの会社を退職し、現在はパートタイムでのビルメンの仕事を求職中の身だ。取材当日は、都内のハローワークにいた。

「この業界に一旦入り、ある程度のキャリアを積むと、転職は決して難しくはない。ビルメンをしていく上で必要な資格を持っていて、多少の経験があれば、私くらいの年齢でも職場はある。ただし、月給は20万円台が多いと思う」

「こんなことまでさせられるの?」
原発事故後の電力会社で感じた違和感

 佐藤さんは、契約先の病院で設備管理などの仕事をしていた。クレーム処理もすれば、蛍光灯を交換したりもする。ビルメンワーカーの仕事は、佐藤さんいわく「こんなことまで、するの?」というところまで及ぶ。

 以前は、ある電力会社の本社ビルにもビルメンとして常駐していた。当時、原発をめぐるトラブルがあった。ある部署の社員たちから、「社内の廊下の電気を消すように」と言われ、急いで蛍光灯を抜いたことがあるという。本来なら、社員がすべき雑務だ。

「詳しい経緯はわからないけど、『会社として反省しないといけない』ということになったんじゃないかな……。なかなか、難しい立場の会社に見えた」

 ビルメンの仕事は、ワリに合うとは言い難い。派遣会社の月給は、月曜日から金曜日までフルタイムで働き、さらに泊まり勤務手当込みで26万円ほど(額面)だった。年収は約310万円(額面)だ。

「それでは家族を養うのは難しい」と私がつぶやくと、佐藤さんは「だから、持ち家か独身であるかが大切」と苦笑いをしながら話す。

「私の場合は、女房と共働き。2人の収入を合わせると、年収で600万円前後。子どもが小さいから、これからお金がかかる。幸いなことに持ち家だから、生活がなんとか成り立つ。賃貸マンションに住んでいたら、こんな仕事を長くはできない」



 佐藤さんの知り合いのビルメンは、40〜50代の男性で独身者が多いという。あるいは親と一緒に住んでいたり、持ち家の人が目立つようだ。

「20〜30代で家族を養おうとする人は、少ないんじゃないかな……。たとえ勤務しても、長くは続かないと思う。『かつてはねぇ、人と接することが嫌い、ボイラーをずっと見ているほうがいい、という人がこの仕事を選んだもんだよ』と、冗談交じりで話す人がいる。でも今は、低収入に耐えられる人が選ばれる……(苦笑)」

契約先企業で経費節減が始まると
真っ先に目を付けられる仕事

 佐藤さんは、前述の会社がビルメンとしては3つ目になる。前の2つの職場では、正社員として勤務していた。その頃の年収は、280〜400万円弱(額面)だった。

 40歳の頃にこの業界に入った。それ以前は大学の職員。職業訓練校に通っているときに、「ビルメンは年収350万円をもらえれば恵まれている部類」と聞かされた。

「まさにシュリンク業界なのだけど、1人のワーカーの力ではどうすることもできない。私には、収入を上げる策なんて思いつかない」

 ビルメンテナンスの会社は、民間企業や地方自治体から仕事を請け負う。仕事の内容は、設備管理・清掃・警備その他の周辺業務となる。設備管理だけを請け負い、清掃や警備は他の会社が賄うこともあれば、設備管理・清掃・警備を全て請け負うケースもある。

 佐藤さんによると、最近ビルメンテナンスの会社は、発注元である、ビルオーナー側から減額の要請を受けることが多いという。中には、「当初の契約額を3割削らせてくれないか」と打診されることもあるようだ。

「委託元の会社は、私たちの仕事を実はあまり知らないように感じる。だから、不況などで経費削減が必要になると、真っ先に目をつけられやすい。シュリンクする一因は、ここにあると私は思う。契約先の会社には、もっとビルメンの仕事を知ってもらわないといけない。委託を受ける中には、個性的なビルのオーナもいて、ワーカーからすると結構大変なんだけどね……」



地方自治体の仕事を請け負う場合は入札となるが、その際は提示する額が安い会社が受けるケースが多くなる。佐藤さんは、こう説明する。

「都庁の清掃を請け負う会社が倒産してしまった。そこで働く人も職を失った。ワリに合わない安い値段を承知で、仕事を受注したのだと思う。経営状態がかなり悪かったのかもしれない。都庁の側も、税金を使う以上、会社の労働条件を踏まえて発注すべきだと思う。そのような条例を制定できなものだろうか」

 ビルメンテナンス会社のタイプは、大きく2つに分けられる。1つは、不動産、生命保険、鉄道会社などのグループに属する会社。巨大な資本の支えもあり、経営は比較的安定している。たとえば、私が数年前に取材した大手電鉄グループ傘下の小売店の人事担当役員は、現在そのグループのメンテナンス会社の社長を務めている。

 もう1つは、独立系の会社。こちらには経営が不安定な会社が多い。前述の倒産した会社もこちらに属する。佐藤さんは「業界全体で契約額が下がっており、価格破壊が進んでいる。それに対して有効な手を打つことができていない」と語る。

若者が来ないから中高年を残すしかない
不況でもリストラできない経営陣の苦悩

 では、市況が悪化するなか、ビルメンテナンス会社ではリストラが起きていないのだろうか。

 佐藤さんは派遣会社に勤務する前に、大手不動産会社のグループに属する、あるビルメンテナンス会社に5年ほど正社員として勤めていた。500人ほどの社員がいて、400人前後がビルメンワーカーとして、それぞれのビルなどに勤務していた。

 40〜50代のベテランのビルメンは、正社員で年収が600万〜700万円の人が少なくなかった。中には、現場の所長で900万円くらいの人がいた。さらには、1000万円を超える人もいたという。

 だがそこでは、不況になってもリストラはほとんど行なわれていなかった。社内に企業内労組はあったが、それほど強いわけではない。

 会社がリストラをしない理由を問うと、佐藤さんはこう答える。

「40〜50代のワーカーを辞めさせようとする動きは、一部にはあった。たとえば、ITに疎い人をパソコンを使うことが必要な職場に異動させたりしていた。でも、露骨なリストラはなかったように思う」



 だが佐藤さんは、人事部などに人件費を削減しようとする意思はあったと見ている。たとえば、委託先のビルに正社員のビルメンだけを送るのではなく、派遣会社から派遣社員を受け入れて送ったりもしていた。

 私が、「40〜50代の正社員のビルメンの雇用を守るために、派遣社員らが犠牲になる構図なのか」と聞くと、佐藤さんは「必ずしもそうとは言えない」と答える。

「会社の人事部は、考えていたと思う。正社員の40〜50代には、成果主義を導入し、賃金を抑え込もうとしていた。そして、リストラではないが、辞めるように仕向けることもしていた。だが、40〜50代の正社員が次々に辞めると、それに代わる人もいないから、人事部としては困ってしまう」

 私が、「その場合は、20〜30代の人が就職試験にエントリーしてきて、穴が埋まるのでないか」と聞くと、佐藤さんは「そうとも思えない」と話す。

「ビルメンの賃金などは、20〜30代にとって魅力がないと思う。労働条件を大きく変えることができないから、若い世代が次々に入って来るとは思えない。さらに、1つのビルでビルメンとして長く仕事をした経験は、それなりに貴重。そのビル特有の仕事の仕方などがある。新たな人を雇い、そうしたベテランのビルメンの代わりをすぐにさせることは、難しいと思う」

「それでは、40〜50代のビルメンを、生かさず殺さず置いておきたいという考えなのかと」尋ねると、佐藤さんは「会社はそのくらいの、したたかなことは考えていると思う」と話す。

「そのマニュアルは俺の頭の中にある」
ベテランの仕切る現場は業務体制が非効率

 さらに、ベテランのワーカーが現場を仕切らざるを得ない構造が根強くあると指摘する。

「ビルメンはある意味で古い業界。経験の浅いワーカーがわからないことを聞こうとすると、ベテランが『そのマニュアルは俺の頭の中にある』などと答えるケースがある。



 ビルの設備管理なども、意外にもちゃんとしたマニュアルがない場合が少なくない。これでは、ベテランを他のビルに異動させることも難しいし、新たにワーカーを雇って業務に習熟させることにも壁となる」

 ベテランワーカーの中には、1つのビルに20年近く勤務する人もいたという。私はこう尋ねた。「担当する職務やその範囲が曖昧で、権限や責任の境界線が不明確な職場では、中途半端に権限を持ち、無責任に仕切る者がおいしい思いをする場合が多いのではないか」と。

 佐藤さんは苦笑いをしながら、このような例を話した。

「あるビルメンテナンスの会社は、委託先企業での業務管理がどんぶり勘定だった。そこで、役員らの号令でマニュアル化が進んだ。

 たとえば、いくつかの会社から委託を受けたならば、『Aビルではワーカーの〇〇がこのような仕事を』『Bビルではワーカーの〇〇がこういった仕事を』という具合に記録する。しかも、30分ごとに記録することになった。これは、現場のことをあまりにも知らなさすぎる人の発想に思えた」

 その会社には、ビルメンの現場に精通した役員がほとんどいなかったという。曖昧で杜撰な管理をする会社の怖さが、ここにある。

暗黙知の現場にマニュアルを導入
現場はますます混乱するだけ?

 こういう会社では、「改革」と称してマニュアル化や「見える化」にかぶれた役員が登場するときがある。彼らは現場のことを全く知らないのに、マニュアルの導入に躍起になる。現場は一段と混乱し、働き手が疲れてしまう悪循環に陥る。

 しかも、もともと職務の範囲が曖昧で、権限や責任の境界線が不明確な現場だから、混乱は深刻になる。まじめに仕事をする「権限の弱い者」が、「中途半端に仕切る者」にいいように使われて、汚れ役になる。

 現在、佐藤さんは求職中の身。今後もビルメンを続けることを念頭に置きつつも、業界全体のことを視野に入れ、「自分にとって本当にいい仕事は何か」を考えていきたいのだという。



シュリンク脱出」を
アナライズする

 佐藤さんは、今後この業界で仕事を続けるか否か、迷っている。そこで今回は、この業界にカンフル剤を打ち、蘇生させることを考えたい。少なくとも、次に挙げたような取り組みは早いうちに必要ではないだろうか。

1. 技術に疎いトップは交代し
  経営改革を進めるべき

 ビルメンテナンス会社の1つの特徴は、技術を売りとする「技術者集団」であることだ。だが、上層部にはそのことを自覚していない人が多い。記事の中で紹介したように、大企業のグループ会社から横すべりしてきたような社長は、技術に疎く、そもそもビルメンテナンスに関心もあまりないように思える。このあたりにメスを入れないと、現場は無念の思いを抱き続けるだろう。

 この業界は、中途半端に安定してきたがゆえに、改革を先延ばしにしてきた。しかし、これからはそれが難しくなる。特に独立系の会社は、本腰を入れないと一段と苦しくなる。

 今後は、ビルメンテナンス会社同士の合併などによる統廃合も進み、次第に技術に長けた人が役員などになり、現場を仕切るようになるだろう。それを見越して、各社は今から経営改革を考えたほうがいいのではなかろうか。

 そのときにようやく、現場のワーカーらが理不尽な思いをしなくて済む状況になっていく可能性がある。ただし、賃金の大幅アップなどは難しく、収入面でのシュリンクは続くと思われる。

2.社員間のスキルやノウハウを
 速やかに共有化せよ

 佐藤さんが指摘しているように、この業界は社員間のスキルやノウハウの共有化が進んでいない。その1つの象徴が、マニュアルすら浸透していないことにある。


 この現場は単純作業が少ないため、マニュアルを整備することに意味はある。社員間のスキル共有化は、日本企業全般について鈍い傾向が見られるが、特にビルメンテナンスなどは、それが目立つ業界の1つ。離職率が高く、40〜50代ばかりが残る構造になっているから、一段とマニュアル化が進まないとも言える。

 各々がスキルやノウハウをある程度は共有できないと、ベテラン社員が現場を中途半端に仕切る体制を変えることは難しい。この業界が浮上できない一因は、現場が暗黙知に頼るあまり、業務の効率化が進まないことにありそうだ。

 経営陣が技術の蓄積に疎いとしたら、共有化は簡単に進まないことが予想されるが、少しずつでも改善を続けるべきだろう。それは、20〜30代の若手をこの業界に呼び込むことにもつながる。

3.発想を切り替えて
 中高年層の受け皿となれ

 この業界には、閉塞感が漂う日本企業の象徴的な問題点がいくつも見られる。その1つは、現場の働き手に若年層が不足し、中高年層が多いことである。他の業界を見てもそうだが、このトレンドは大きく変わらないだろう。

 とすれば、むしろ中高年層の雇用の受け皿として位置付けられていくことが現実的かと思う。たとえば、この連載で紹介した「タクシー業界」や「自動車教習所」と似た状態になっていくかもしれない。

 そこで発想を切り替え、社会で「午後4時の業界」と認知される方向へと、経営方針をシフトしてもいいのではなかろうか。そのほうが社会での認知や理解につながる可能性があるし、より現実的な採用や営業が可能になるだろう。

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